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旅行記録 -2012年3月ネパール、2013年8月北海道― (5/5) 2013北海道旅行3日目 釧路湿原

(1/5) (未完成)2012ネパール旅行1日目 機内
(2/5) (未完成)2012ネパール旅行1日目 広州での宿泊
(3/5) (未完成)2013北海道旅行2日目 知床五湖
(4/5) ~タンチョウと釧路湿原
(5/5) 2013北海道旅行3日目 釧路湿原

 


(5/5) 2013北海道旅行3日目 釧路湿原

 

北海道旅行の3日目は釧路湿原にきていた。レンタカーで丸一日釧路湿原周辺を探索し、夕方から阿寒湖に向かうというスケジュールだ。

釧路湿原の魅力は何といってもその景観だ。釧路湿原国立公園内にはその景観を一望できる展望台が複数あり、直接湿原の中を歩ける遊歩道やカヌー体験をできる場所なんかもある。
https://www.env.go.jp/park/common/data/04_kushiro_map_j.pdf
その中で細岡展望台と釧路市湿原展望台の2つを行き先として、道すがら周辺を探索することに決める。位置関係としては東に長岡展望台が、西に釧路市湿原展望台がある。出発地の釧路市内からまずは長岡展望台に向かい、反時計回りに釧路湿原を周回する様なかたちで釧路市湿原展望台へと向かうコースだ。

釧路市内から細岡展望台へと向かうにはちょっとした山道を通る。車の通りが殆どなく、アスファルトで舗装されていない砂利の道だ。
雲がかかっていたものの空は青く太陽が眩しく輝く日だった。辺り一面の草木や遠くまで広がる森が雲の隙間から溢れ出る陽の光に照らされて、生き生きとした緑色の世界を作りだしている。車の窓を開けると気持ちの良い風が吹き抜けて、鳥の声や虫の声、風の音、そんな自然の音が聞こえてくる。気温も湿度も心地よく、これ以上にない好天の日だ。

細岡展望台の駐車場に着き、車を停めて展望台へと向かった。展望台には何人かの観光客がいてたものの、それ程混んではおらず、湿原を眺める場所を確保することができた。
細岡展望台は釧路湿原にある展望台の中でも最も人気のスポットといえ、そこからの眺めは障害物も殆どなく、見渡す限りの湿原や蛇行する釧路川、湿原を取り囲む森林を一望することができる。天気が良ければ遠くに連なる山々を眺めることが出来るし、夕方になればオレンジ色に染まった湿原が姿を現す。
湿原の風景というものを僕はそれまで見たことがなかったが、細岡展望台からの眺めは素晴らしかった。ヨシやスゲなどの水生植物が一面に広がっている様は、遠くから眺めると一様な黄緑色の地面を形作っている様に見える。季節柄なのか、水生植物が薄茶色になっている部分もあり、その色の織り合い、更にはところどころに見られる雲の影が作り出す明暗が、景色に多様さをもたらしている。水生植物の広がりの中でところどころぽつんと木が立っている点も、湿原以外ではあまり見られない光景なのかもしれない(後で調べたところ、これらの木はハンノキといい、この光景はアフリカのサバンナを想起させる風景と言われている)。展望台から眺めて左側は雲がかかり、雲と湿原の間の大気は灰色で流動的であったため、その場所では雨が降っていることが分かった。釧路湿原という一つの空間の中で異なる天候が見られるのも印象的だ。雲の流れは早いため、太陽が雲に隠れて少し暗くなったり、雲の影の場所が変わったり、雨が降っている場所が少しづつ移動したりする。釧路湿原の変わっていく景色をいつまででも楽しむことができた。
遠くからチェーンソーか何かで木を伐採している音が聞こえる。でもそういった人工的な音が気にならない位、気持ちが良い。近くで咲いている花の周りでは、大きなハチが音をたてながら花から花へと忙しそうに飛び回っていた。
時々、電車が走る音が聞こえてくる。前々日に釧路空港から知床に向かう際に乗ったノロッコ号だろう。ノロッコ号は展望台の下に広がる林の中を釧路川沿いに走っているので、ここからでは姿が見えない。でも、都心であれば気にかけない様な電車の音も、のどかな湿原においては少し異様な存在感を放つ。音の変化によって見えない車両が近づき、そして遠ざかっていくのが分かった。展望台の付近を通る時に鳴らした汽笛が湿原の彼方まで鳴り響いている様に感じられた。湿原の生き物たちはこの音はどの様に聞いているのだろうか。

しばらくそこにいると細岡展望台の上空にも雲が差し、雨がポツポツと降り始めてきた。車に戻り次の目的地である釧路市湿原展望台へと向かう。走り始めて暫くすると大粒の雨に変わった。さっきまでの天気が嘘の様な降り方だった。

釧路市湿原展望台にたどり着く手前のところに温根内木道がある。ここは湿原内に遊歩道が設置されており、ヨシやスゲ、ミズゴケ等の水生植物が生えた湿原の中を歩くことが出来る。
たどり着く頃には雨は止んでいたが、天気が変わりやすいので、途中で立ち寄ったコンビニエンスストアで買ったビニール傘を持参して遊歩道へと向かった。

駐車場には何台か車が止まっていたが、遊歩道の中は人が少なく、僕の数十メートル先をレインコートを着た二人組が歩いている位だった。遊歩道を歩くと木が軋む気持ちの良い音が聞こえる。遊歩道の両脇には、水の底から生えたヨシの葉が並んでいる。
この辺りは低層湿原といって、湿原の形成過程における初期段階の湿地になる。低層湿原は文字通り周囲より標高が低いため、周辺から水が流れ込み沼の様になっている。その上に遊歩道が作られているため、遊歩道から足を踏み外すと車に戻って着替えてこなければならないことになる。低層湿原では主にヨシやスゲ類が植生しており、この植物が分解されずに泥炭となって堆積していくと、標高が高くなって高層湿原になる。高層湿原では周囲から水が流入しないので雨水しか水を確保する手段がなく、水分や栄養分が少ない土地となり、生える植物は水が少なくても生きることが出来るミズゴケ類が中心になる。釧路湿原は面積の約80%が低層湿原だ。なお、先述した泥炭はピートともいい、ウイスキーが好きな人には馴染みが深いかもしれない。

先ほど細岡展望台から眺めた湿原を内側からみると、あれほど広大であることを想像するのは難しい。遊歩道の両脇に生えているヨシやスゲは、先ほどは地面を形成する色彩としてしか見えなかったが、ここからだとどこまでも身近な存在であり、どこまでも実際的だ。それぞれの一本一本に生命が宿っているのが感じられる。湿原の環境が彼らを育み、彼らが湿原の景観を形成している。彼らは何を思い、決して肥沃とは言えない土地の冷たい水の中を住処として決めたのだろうか。

遊歩道の中で湿原の最も内側に入り込んだ場所にたどり着いた。湿原の中心部の方を向くと、見渡す限りの水生植物を眺めることが出来る。風が吹くと少し肌寒い。空は曇っており、青空はあまり見えない。

遠く離れた湿原の中にはぽつんと木が幾つか生えていることに気づいた。ハンノキなのだろうがこの時は名前すらわからない。ヨシやスゲ等の今まで見た水生植物とは全く違う、どこでも見かける様な木だ。この湿潤な土地にも、そんな木が生えていることを知り、驚かされた。貧養な土地のためか木の枝は細く、葉は木の上部に間に合わせの様にちょこんとついているだけで、幹がむき出しになっている。寒さをしのぐ術を身につけていない様にみえる。

沼の底に根を張るその木が感じる水の冷たさを想像してみる。細い幹に強い風を受け、倒れない様に耐えている姿を想像する。厳しい冬には辺り一面を雪が覆い、乏しい養分を幹に巡らせて冬を越えようとする姿と意思を想像する。
その様な状況を考えていると、その木が何かの目的を持ってそこに生えている様に思えてきた。木は湿原の奥深くで、誰にも知られることなく厳しい環境を耐え、その使命を果たそうとしている。一本の微力な木ができることは大きくはないと知りつつも、彼らは決して役割を放棄したりはしない。

彼らはそれぞれ一人ではあるものの、木同士がお互いの存在を知っているのかもしれない。それぞれの間の距離は離れており、意思疎通はできそうもない。でもお互いの存在をただ認識することが、彼らの意思をより強固にする。離れた同志のことを時おり思い出し、日々の困難を乗り越える糧にしていく。

その時ふと僕の胸の中をある想いが満たしているのに気が付いた。とても不思議な感覚だったが、その正体を突き止めるのに時間はかからなかった。ばかばかしい話かもしれないが、その木々に親しみを覚えてしまったのだ。仲の良い友人に抱く気持ちと同じ様に。彼らの意思に触れ、その想いを共有できた様な気がしたのだ。これは形而上的な話でもなく、抽象的な意味を込めた話でもない。極めて直截的な意味において、その木々に親しみを覚えていた。こんな感覚は初めてだった。

先を進んでいた二人組はもう姿を消しており、進んできた道や周囲を見渡しても誰もいない。僕は1人だった。しかしそこで感じたものは、かつて広州の宿や知床五湖で感じた孤独感とは全く違っていた。少しの疑念も抱くことなく想いを1つにすることが出来る仲間がここにいるのだ。

久しぶりに温かい気持ちが胸を満たしていた。こんな気持ちになれたのはいつ以来だろうか。きっともう覚えていない位昔のことだ。

雨が降り始めた。小降りでも肌に当たる雨粒は冷たかった。僕は気にすることなく湿原の彼方を眺め続けていた。雨は冷たかったが、ただ冷たいと感じられるだけで、傘をさそうという気や車に戻ろうという気は起こらなかった。身体が雨の冷たさと風の寒さを受け入れている様だった。感覚は研ぎ澄まされ、その雨を通して釧路湿原の意思が僕を受け入れてくれている様に感じられた。このままずっと釧路湿原と一体化していたいという気持ちになっていた。

そのままどの位の時間そうやって立ち続けていたかは覚えていない。
ずっとその場に居続けたかったが、そうするべきではなかった。僕は彼らと境遇は似ていたかもしれないが、身を置いている環境は違っていた。僕の願いはここでは果たすことはできない。ここではない別の場所で、彼らとは違うことをしなければならない。もっと現実的なことだ。だからここを離れなければいけない。
でもそれで彼らとの関係が途絶えるわけではない。困難に直面した時は、遠く離れた彼らのことを思い出そう。広い湿原の中で一人天命を果たそうとする姿を。僕に与えてくれた温かさを。
今まで抱いてきた、ある問題を解消したいという思いが、僕の中ではっきりとした使命に変わった瞬間だった。


持っていたビニール傘を差しその場所から離れた。僕は、雨が振れば傘を差し、寒ければ上着を羽織る様な生活をしなければならないのだ。
進んでいく道は来た道とは全く違う道の様に感じられた。僕は振り返ることなく、その新しい道を進み続けた。雨の降る釧路湿原の音の世界に、ポツポツとビニール傘をうつ現実的な音が響きわたっていた。